なぜ英語が身につかないのか(英語の学び方)

英語が身につかない原因

「子供の内から始めないと」はホントか

 英語を身につけるために特別な才能は必要なのだろうか。私はそうは思わない。世界中のどの国に生まれた子供達も、生まれて数年のうちに母国語を習得する。もしも、言語を習得するのに特別な才能が必要であるとすれば、世の中には母国語を話せないままの人が一定数いるはずである。

 これに対して、「子供の内だから身に付く」という意見はよく聞かれる。もちろん若い方が吸収が早いということはあるかもしれない。しかし、大人になってから外国語を身につけた人の例はいくらでもある。もしも、「そのような人には才能があった」と反論するのであれば、無理をして英語の勉強をしようと考えないければ良い。可能性があるなら、それを信じて努力すれば良いのである。

価値のない努力

 「いや、努力しているが身につかない」と嘆く人もいると思う。この疑問にはHONDAの創業者の本田宗一郎氏が理由を説明している。

当時、一生懸命がやたらと尊ばれた。たんなる一生懸命には何ら価値がないことを為政者は教えなかった。だから国民は一生懸命が価値を持つためには、正しい理論に基づくことが前提条件だということを悟らなかった。

本田宗一郎

 何かを成し遂げようとするのならば、ただ努力するだけでは不十分なのだ。「正しく」努力するからこそ成果が上がるのだ。もしもあなたが、すでに一生懸命に英語を勉強していると言えるのであれば、あとは正しい理論で行うことができさえすれば英語は身に付く。それでは、英語を身につけるための正しい理論を考えていこう。

音と文法

 まず、英語の学習は大きく二つの要素に分けることができる。一つは「文法」で、もう一つは「音」だ。この二つは車の両輪のようなもので、どちらが欠けていてもちゃんと走ることはできない。しかし残念なことに、日本における英語学習の中心は文法であり、ほとんどの勉強時間は単語の暗記や文法ルールの習得に当てられている。徐々に英語で会話することを目的にしたカリキュラムへと変化してきてはいるが、いまだに「音」の重要性に対する教える側の意識は低いと思う。

カタカナ発音の授業

 学校の英語の授業はカタカナ発音で行われているのが現状だろう。英語の試験では受験生が正しく発音できているかを評価する問題がないため、授業の効率を考えれば仕方ないことだと思う。進学塾においてはますますその傾向が顕著である。しかし、これでは教わる生徒達は正しい発音など気にしなくなる。そうして、英語の音を軽視したまま文法ばかりを重点的に教えた結果、実用的な英語は身につくことのないまま義務教育を終えていくのである。

数学的な英文法指導

 さらに言うと、その文法の教え方についても問題があると思う。日本における英文法の教え方はとても数学的である。英語の文を数学の数式のように扱う。問題の解き方も機械的に公式を当てはめるようで、どこか事務的な感じがする。
このようなやり方にも利点はある。英文法を画一的なルールとして教えることで、学ぶ側の誤解は少なくなる。そのため、大勢に向けて説明をする場合には効率的である。説明内容もよく考えられていると思う。便宜的な説明方法を用いることで、短期間で一通りの規則を伝えることができるようになっている。私自身もこの方法で基本を学んだので、全てを否定したくはない。

 しかし「事務的」で「便宜的」と言うのは、試験の対策としては利点となるが、実用的な英語を身につけようとしたときに欠点になる。英語は言葉であり、つまりはコミュニケーションのツールなのだ。英語が実用的であるためには、自分の感情や感覚を伝えることができる「主観的」なものにならなければならない。そして身につけるとはそのものの「本質」を知ることだ。便宜的なとりあえずの説明を覚えるだけでは英語の本質にたどり着くことは難しいだろう。

実用的な英語を身につけるために

意味のあるリスニング学習とは

 英語の音に関する勉強の方法を端的に言えば「正確な英語の音をたくさん声に出す」ことだと思う。私の考えは「自分が発することの出来ない音は聞き取ることも出来ない」というものだ。これを逆に考えれば、「自分が発することができる音は聞き取ることもできる」ということになる。英語を聴くための耳を鍛えようとするなら、実は口を鍛えた方が良い。英語学習で長時間のリスニングをしている人は少なくないと思う。どうだろう、思うように聞き取れるようになっただろうか。おそらく、残念なことに実感できるほどの効果を感じない人の方が多いのではないだろうか。
私見では、リスニングとは耳を鍛えるために行うものではなく、正しい音を頭にインプットするためのものにすぎない。英語を聴くための耳が鍛えられるのは、そうしてインプットした正しい発音を自分の口で発したときである。つまり、発音することのないリスニングでは一向に耳を鍛えることはできない。これを一般化していうなら「アウトプットのないインプットは無意味」ということになる。

シャドーイングが最良の方法

 そして、そのための最良の方法は「シャドーイング」であると信じている。私自身、シャドーイングを集中して行った時期に、それまで聞き取れなかった英語が急にはっきりと聞こえるようになって驚いた経験がある。シャドーイングについては、長くなるので別の記事にしようと思う。

単語力ではなく文型力

 文法については「文型を意識する」ことが最優先課題である。ここで言う文型とはSVOを暗記する学習単元の文型のことではない。そうではなくて、英語では単語の並び方そのものに意味があるのだと理解することが大切なのだ。

 日本語では、「〜は」や「〜を」などの助詞が単語の役割を決定する。「私は」と言ったときは主語になるが、「私を」とすれば目的語になる。一方で英語では、単語はその置かれる位置によって役割が決定される。これを理解しないうちには英文を前から流れるように読み進めることは難しい。単語力に頼った読解には限界がある。単語の意味ばかりを追っていては、一つでも知らない単語が出てきたり、単語数が多い文であったりしたときには全体の意味が取れなくなる。

 そういう場合に単語力が足りないのが原因だと思ってしまうのはよくある間違いだ。そして、必死に単語帳を暗記するのだが、英文を読むスピードはそれほど改善しないという結果に終わる。私の場合は、暗記が得意でなかったため早々に諦めて単語帳は処分してしまった。しかしこれが良かったようで、私の読解力はここから伸びていくことになった。それから1年後に受けたTOEICではリーディングセクションの文章題を全て読み通すことができるようになっていた。ある時点で単語力を諦め、意識を文型へ向けたおかげであった。

 もちろん単語を多く知っているに越したことはない。しかし、単語力を英文読解の中心であると考えるのは間違いだ。読解の本質は文の構造を理解することであり、単語力はあくまでもその補助である。

※ちなみに単語帳はなくても良いが、例文の載った辞書は必須である。