解説要約『ラッセル幸福論』:競争について

第一部 第三章「競争」

超口語要約

 みんな「生活のために働く」って言うけど、生活のためだけならそこまで必死に働く必要ないはずだよ。実は社会的な勝ち組を目指しているからいつまでも気が休まらないんじゃないかな。その上、そうやって必死に働いているうちに、日々の生活の楽しい出来事を見逃してしまっているなんて本当にもったいないことだよね。

それに、もしも勝ち組になったとしても幸せではないのかもしれないよ。だって、ずっと働いてばっかりだったら、どうやって人生を楽しんでいいのか分からないままでしょ。確かにお金があることは良いことだけど、楽しい使い道が思いつかなければ何の意味もないよね。

周りのみんなは勝つことが一番大切だって言っているかもしれないけど、それを信じて競争に巻き込まれてはいけないよ。勝ち組の人たちが本当に幸せそうかよく見てみるといいよ。疲れ切った顔をしているし、人生に悲観して自分の子供を作らなくなってしまっているね。

でも、こんな状況ももう少しで終わるから焦る必要はないよ。辛くて苦しいことなんて長続きしないものなんだ。楽しいと思うから長く続けることができるんだよね。だから、自分なりに人生を楽しむことができるようになれば、勝ち組競争のことなんて気にならなくなるよ。

解説要約

現代の生存競争

人びとが生存競争ということばで意味しているのは、実は、成功のための競争にほかならない。この競争に参加しているとき、人びとが恐れているのは、明日の朝食にありつけないのではないか、ということではなくて、隣近所の人たちを追い越すことができないのではないか、ということである。

 現代では、社会的に成功することが人びとの目的になっている。ラッセルは、それでは本当に幸せになることができないし、それどころか不幸を招くことになると指摘する。そして、ほとんどの人はそのことに気づかずに日々生活している。

例えば、ビジネスマンが「生きるため」に働いていると言ったとき、彼が「生きる」という言葉で問題にしているのは自分の生命ではなく自分が社会的に成功しているかどうかである。これは、社会的成功こそが幸福の条件であると信じ込んでいることが原因であるという。

そして、社会的成功を人生の目的に掲げているうちは、そのためにあらゆる人生の楽しみを犠牲にしてしまうことになる。これについてラッセルは、「私はと言えば、私が金から得たいと思うものは、安心して楽しめる余暇である」と述べている。

私が主張したいのは、成功は幸福の一つの要素でしかないので、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払ったことになる、ということである。

成功はゴールなのか

金持ちになるにつれて、金もうけはますます楽になってくる。挙句のはてに、一日五分も働けば、どう使ったらいいかわからないほどの金がころがりこんでくるようになる。こうして、かわいそうに、この男は、成功した結果、途方にくれてしまうことになる。

 競争して勝つことでしか幸せになれないと人びとが思うようになったのはビジネスの世界に原因があるという。いわゆる実業界においては、より多くのお金を儲けたものが勝者になる。

しかし歴史的に見れば、実業界は最も尊敬されるものではなかった。国によって事情は異なるが、ほとんどの場合ビジネスマン以上に尊敬されるグループがあった。それは貴族階級や軍人などである。彼らは、お金を多く稼いだということで評価されることはない。どのようなことを成し遂げたかという行動の内容で評価されることになる。つまりそのような社会では、儲けること以上に大切なことがあるのだ。

 しかし、アメリカでは実業界以上に尊敬されるグループが存在しない。このため、実業界以外のあらゆる業界も、儲けたお金で評価されることになるのだという。例えば、知識階級であるはずの医者であっても、より稼いでいる方がより優れた医者であると判断されてしまう。

このような環境では、誰もがお金を儲けることだけを重要視するようになる。その結果として、現代の成功者達の多くはお金を儲けること以外に関心がない人々である。彼らは、人生を楽しむための教養を身につけてこなかったために、成功を収めたことでむしろ人生に退屈してしまうことになってしまうという。

絶滅する現代の恐竜

森には美しい野生の花がいっぱいに咲き乱れていた。しかし、私の案内役でその花の名前を一つでも知っているものは、だれ一人としていなかった。そんな知識がなんの役に立つのか。それで、だれかの収入が増えるわけでもあるまい、というわけである。

 ラッセルは、現代社会では競争することが過度に強調されていると指摘する。競争社会では勝者のみが尊敬される。このような環境の元で成功を収めることができるのは、相手を打ち負かそうという強い意志を持った人である。ラッセルはこのような人たちを「現代の恐竜」と例えている。

彼らは、意志が極端に発達した代償として、感性と知性の衰えという犠牲を払っているのだという。そのため、成功は収めても人生を楽しむことができない。それでも、このような成功者は人々の憧れの的になる。そうして、多くの人々が彼らの真似をするようになるため、競争は激化の一途を辿ることになるというのだ。

 一方で、ラッセルはこのような競争社会は二百年程度しか持続しないとも予想する。彼らのような成功者たちは平均して子供を二人しか作らず、これは彼らが人生を幸福なものと感じていないためであるという。彼らの子孫は繁栄せず、その上激化する競争の中で健康を害していくことになるのだ。

古の恐竜が生物の勝者になれず絶滅していったように、現代の恐竜達も自滅の道を辿ることになるのだそうだ。そして、他者との競争に巻き込まれず、陽気に人生を楽しむことができる人々が生き残ることになるのだという。

競争は絶えず加速されるにきまっているので、その当然の結末は、薬物に頼り、健康を害することになるだろう。これに対する治療法は、バランスのとれた人生の理想の中に、健全で、静かな楽しみの果たす役割を認めることにある。