感情が生まれるしくみ(気持ちを理解する②)

例題

【状況】あなたは親しい友人にメールを送りました。既読になったもののいっこうに返信がありません。その時間には仕事はしていないはずです。

このときのあなたの反応は以下のどれでしょうか。

Aさん:「何か悪いことを言って嫌われたかな」と思い、こちらから連絡するのは控えようと考えた。

Bさん:「すぐに返信しないのはひどい」と思い、相手からの返信には応じないようにしようと考えた。

Cさん:「忙しいのかな」と思い、数日返信がなければまたこっちから連絡してみようと考えた。

知覚

 前回、「出気言」という考え方で出来事、気持ち、言動の繋がりを説明しました。しかし、これだけでは肝心の気持ちとはなにかという部分に触れていません。そこで、今回は「認知」というものを説明することで、気持ちの分析をしていこうと思います。

上記の例題を使いながら説明していきます。まずここでは、「メールの返信がない」という部分が出来事になります。あなたは画面上に返信が現れないことを確認してそのことに気がつきました。もしも見たり聞いたりすることがなければ、それは問題にはならずに通り過ぎて行くだけです。この段階を「知覚」と呼びます。

自動思考

 知覚された情報は、脳で処理されることになります。脳は与えられた情報を理解し、解釈しようとします。これは消化器官が食物を消化するのと同様な自然な反応だと思います。ただ、ここで問題が起こります。食物を消化する際には、誰でもおおむね同じ栄養分に分解されるはずです。しかし、脳が情報を解釈するときにはそうはなりません。同じ情報に対しても様々な解釈が可能になります。最初の例に示したように「メールの返事がない」という出来事にはいくつもの解釈がありました。

そして、様々な可能性の中から自分なりの解釈を選択することは、瞬間的にそして無意識的に行われます。これは自動的に行われることから「自動思考」と呼ばれています。自動思考は無意識に行われるため他の解釈の可能性を考えるスキがありません。そのため、どのような解釈であっても本人にとっては自分の解釈が唯一の真実であると感じられてしまいます。これが問題の発端になるのです。

性格と認知

 まず、物事をどのようにとらえるかというのは、性格の問題として扱われるかもしれないでしょう。例えば最初の例で言うと、Aさんは「悲観的で自責的」な人と言われるかもしれません。Bさんは「子どもっぽくて怒りやす」人と言われそうです。Cさんは「マイペースで思いやりのある」人と評されるかもしれません。このように、性格の問題にしてしまえば、そうそう変わることはないように感じられます。

 一方で「認知」という別の見方があります。これは、「考え方のクセ」と説明されることもあり、先に説明した自動思考の前提となっている価値観のようなものでしょう。たとえば物事を全か無の二分にして考えるようないわゆる「完璧主義」や、事態は悪くなるだろうと思い込む「悲観主義」なども認知のパターンのひとつです。そうして、それぞれの人が異なった認知を通して物事を解釈するため、同じ出来事も人によって見え方が変わるのです。このように認知という考えを持ち出す利点はなんでしょうか。それは、認知は単なるクセであるので、いくらでも変えていくことができるということです。ここでは、この認知の考えに基づいて話をしていこうと思います。

感情

 自動思考の結果として私たちに「感情」が生じます。最初の例で見てみましょう。Aさんの反応を見てみると不安、恐怖、罪悪感といった感情になっていそうです。Bさんは不当、怒り、復讐心という感情になっているかもしれません。Cさんからは、相手を心配する気持ちが感じられます。実際のところ、この3人の解釈のうちどれが真実なのかはわかりません。(後で判明したとしても、少なくともこの時点ではわかっていません)それなのに、それぞれが違う感情を持ってしまったことをどのように考えればよいのでしょうか。ここが重要なポイントになります。つまり、感情というのは真実とは無関係に起こるということです。出来事はあくまできっかけに過ぎず、人はその出来事を自分なりに解釈して独自の事実を作り出します。そして、それについて様々な感情が起こります。別の言い方をすると、感情の原因は出来事そのものではなくて、その人の解釈にあるといえるでしょう。

 ここまでの流れを整理します。まず、出来事は五感によって知覚されます。知覚された情報について自動思考が起きます。これは認知に基づいて瞬間的、無意識的に起こるものです。そして、自動思考はその人にとっての唯一の事実と感じられるので、これに対して恐怖や怒りなどの感情が生まれます。

認知の歪み

 その人の認知が著しく合理性を欠いたときに、本人や周囲の人にとって問題となります。たとえば「まわりの人々が自分を陥れようとしている」と思い込む被害妄想が挙げられます。ここまで極端な形ではなくても、生活を送る上で支障が生じるような誤った認知を「歪んだ認知」と呼びます。先の例で言うと、Cさんの解釈が合理的で問題解決的なのに対して、AさんとBさんには認知の歪みがあると言えそうです。どちらの場合にも、不確実な情報から一方的に友情を終わらせようとしてしまっています。

 逆から見れば、この歪んだ認知が不幸の原因であると言えるかもしれません。そして、認知は単なる考え方のクセです。その人の性格や性質とは違い、直すことができるということです。まとめると、自分の認知の歪みを発見して修正していくことができれば生活上の問題は解決していくことになるはずです。この方法は「認知行動療法」と呼ばれ、うつ病の治療などに積極的に用いられています。その効果は、場合によっては投薬以上の効果をもたらすそうです。

まとめ

 今回は感情が生まれるまでの流れを書いてきました。重要なことは、出来事と感情の間にある認知の存在に気がつくことです。このような認識を持てば、感情はコントロールできるものだとわかるからです。逆に、認知の存在を無視すれば、感情の原因は出来事そのものということになります。また、自分に起こる出来事を完全にコントロールすることは不可能でしょう。そうすると、自分の幸福や不幸は最終的には与えられた環境次第であるという結論になってしまいます。これはいわゆる運命論者の認識です。彼らの「自分の不幸は運命であるから努力しても変えられない」という考え方は、ある意味での安心感をもたらしてくれます。しかし、不幸な運命として耐え忍ぶよりも、不幸の原因となっている歪んだ認知を捨てることで状況は変わるかもしれません。その方がはるかに建設的で意味のあることだと思います。