この本について
世界三大幸福論の一つである「ラッセル幸福論」。著者バートランド・ラッセルは歴史的な数学者であり論理学者である。
彼は、人生は本質的に幸福なものであると主張する。そう感じられないのは、不幸になる心理状態を克服できていないことが原因であるという。その心理状態とは過剰な自意識であり、ラッセルはこれを「自我の牢獄」(a prison of self)と呼んだ。その牢獄から抜け出し、外側の世界に関心を向けていくことで人は幸福を獲得することができるという。
第一部「不幸の原因」では克服すべき心理状態について、続く第二部「幸福をもたらすもの」では関心を向けるべき対象と自分自身のあり方について述べている。その説明は論理学者らしくとても理論的だ。ただ、話題の幅が広いので一読で理解するのは難しいだろう。何度も読み返すことで毎回新しい刺激を与えてくれる一冊だ。
第一部 第一章 何が人びとを不幸にするのか
超口語要約
みんな平気そうな顔をしていても、実はそれぞれ不幸を抱えているよ。
戦争みたいにどうしようもないこともあるけど、ほとんどは普通の生活の中で不幸に悩んでいるんだ。むしろ、これといった原因が見当たらないからどうしたらいいかわからないんだよね。
まあ、元々の原因は子供の頃にあるけど、過ぎてしまったことを言ってもしょうがない。今から考え方とか物の見方を変えれば不幸から抜け出せるよ。どう変えるかっていうと、もっと外の世界に興味を持つようにすればいいんだよね。実は、みんな自分のことばかり気にしているから不幸になっているんだ。
解説要約
本書の目的
私の目的は、普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案することにある。
それというのも、文明国の大半の人びとは、まさにそういう不幸に苦しんでいるわけだし、また、そういう不幸は、はっきりした外的原因がないのでのがれようがないように思われるために、ますます耐えがたくなるからである。
世の中の人びとはみんな自分なりの不幸を抱えているという。戦争や貧困など個人の努力では克服できないことが原因の場合もあるが、ほとんどはもっと日常的で原因が特定できない慢性的な不幸である。そういった日常的な不幸は、自らの考え方や物の見方を変えることで克服していくことが可能であるという。本書は、日常の不幸を克服し幸福を獲得するための実践書だ。
不幸の原因
五歳のとき、つくづく考えたことは、もしも七十歳まで生きるとすれば、まだ全生涯の十四分の一を耐え忍んだにすぎない、ということだった。
そして、行く手に横たわっている長い退屈は、ほとんど耐えがたいものに思われた。
ラッセルは不幸の原因を説明するにあたって、自身の生い立ちを例に挙げている。彼の子供時代は幸福なものではなかったようで、思春期にはいつも自殺を考えていたそうだ。だが、この「幸福論」を出版したときに五十八歳になった彼は、「年々年をとるにつれて、ますます生をエンジョイしている」と記している。彼はその後九十七歳まで生きたが、亡くなる直前まで精力的な活動を続けた。自殺どころか、人生を満喫した生涯であった。
ラッセルは、不幸に悩んでいた昔の自分を振り返り、その原因が「自己への没頭」であったと分析した。自分自身に過度に囚われていたことが不幸の原因であり、その大きくなり過ぎた自意識から抜け出すことで不幸を克服することができたのだという。
では、どのようにして自己没頭から抜け出せたのか。それには外部の物事に関心を持つことが役に立ったそうだ。最初に数学への探究心が自殺を思いとどまらせ、それから世界の状況やさまざまな分野の知識、愛情を感じる人々も彼の関心の対象になった。そのうちに、彼は自分自身の不幸に対して無意識になることができたという。
不幸の原因となる心理状態3タイプ
世間への関心はと言えば、世間に称賛されたいということのみであるような人間は、所期の目的を達成する見込みはない。
たとい達成したにしても、完全には幸福にはなれないだろう。人間の本能は、完全に自己中心的なものではないからである。
不幸の原因となる心理状態である「自己没頭」には3つのタイプがあるという。一つは「自分はこうあるべきだ」という強い思いに取り憑かれている人だ。このタイプの人は、幼少期に形成された自己の理想像のためにあるがままの自分を受け入れることができずにいる。そしてことあるごとに「私はダメな人間だ」と自分自身を責めてしまう。このように罪の意識に囚われていることからこのタイプを「罪人」と呼ぶ。
残りの二つは「ナルシシスト」と「誇大妄想狂」である。どちらの場合も「罪人」が持つ罪の意識の裏返しであるという。それは、あるがままの自分自身を認めることができないため、かわりに他者からの評価を求めるようになってしまうのだ。「ナルシシスト」の場合は他者からの愛情や称賛を求め、「誇大妄想狂」の場合には権力や他者からの尊敬や畏怖の念を求める。
これらは適度であれば問題ないが、過度になってしまうと幸福の妨げになるという。ラッセルは画家を例に挙げて説明している。画家が他者から認められるためにのみ作品を描いていたとしたら、彼にとって絵を描くことは目的ではなく手段にすぎない。結局、心から絵を描くことに関心を持つことはなく、そのため人々を魅了するような作品を生み出すことはできない。もしも絵を描くこと自体に本当の関心を持つことができれば、創作はやりがいのあるものになり、そこから生み出される作品も違ったものになるだろう。
原因と対策
不幸な人たちは、不眠症の人たちと同様に、いつもそのことを自慢にしている。
もしかすると、彼らの自慢は、尻尾を失ったキツネの自慢に似ているかもしれない。もしそうなら、それを治すには、新しい尻尾の生やし方を彼らに示してやることだ。
「尻尾を失ったキツネの自慢」とはイソップ童話の一つで、罠にかかって自慢の尻尾を失ったキツネが、仲間のキツネたちに対して尻尾のないことのメリットを説明して自分と同じように尻尾を切るように勧めたという話だ。このようにして、幸福を諦めた人たちは他者の足を引っ張るようになる。
このような不幸の心理状態を作り出す原因は幼少期にあるという。幼いころに満たされなかった思いが、特定の物事に固執する心理状態を作り出すのだという。しかし、一方でそういった状態から抜け出そうとせずに、不幸の中に留まるという選択をしているのは自分自身でもあるそうだ。この仮説について次の2章で詳しく説明をしている。