前置修飾と後置修飾

「並べる」と「くっつける」

 前回は「主語と述語を見抜く」という話をした。このまま述語部分の各パターンの話(いわゆる5文型)に移りたのだが、その前に英語における単語の組み合わせの基本的な考え方を説明しておく必要がある。

 英語では、大きく分けると2つの組み合わせ方がある。一つは後ろに置く方法であり、もう一つは前に置く方法である。ここで、便宜的に後ろに置くことを「並べる」、前に置くことを「くっつける」と呼び区別することにする。(文法用語ではそれぞれ「後置修飾」「前置修飾」という。)そして、「(後ろに)並べる」ことには「説明を加える」作用があり、「(前に)くっつける」ことには「限定」する作用がある。
 ここでいう「説明を加える」とは、言葉をA→Bと並べると「AはBである。」という意味になることである。これは前回「主語と述語を見抜く」で説明した通りだ。今回はもう一つの「限定」について、両者の違いを比較しながら説明していこうと思う。

 まずは、日本語の例文で考えてみる。「リンゴは赤い」と「赤いリンゴ」という二つは同じ意味だろうか。似たような意味だが、伝えている内容は違う。
「赤い」という修飾語句の位置を「リンゴ」を中心に考えると、前者では後ろに置かれており、後者では前に置かれている。つまり、前者は「赤い」という「説明を加える」のに対して、後者では「赤い」に「限定」しているのである。意訳をすると、前者は「リンゴというものはたいてい赤いものである」という一般的な説明であり、後者は「青いリンゴでも、黄色いリンゴでもなく、赤いリンゴである」というように全種類のリンゴの中から赤いものだけを指し示しているのだ。この使い分けは、英語においては厳格に守られているが、日本語では曖昧である。英文を読解するためには、意識的に注意していくことが必要だ。

「説明を加える」と「限定」

 では、「説明を加える」と「限定」にはどのような違いがあるのだろうか。さらに例文を使って説明していく。「an intelligent person(賢い人)」と「the person who made the iPhone(iPhoneを作ったあの人)」。前者では、修飾語句「賢い」が前にくっついているので「限定」している。すべての人々の中から、「賢い」という性質を持った人だけに焦点を絞っているのである。100あったものを削っていくイメージだ。

 一方で後者では、修飾語句「who made the iPhone」が後ろに並べられているので「説明を加え」ている。「the person」に対して「iPhoneを作った」という情報を追加しているのだ。今度は、100あったものを110とか120にするイメージである。

 紛らわしいのが、後者の場合も結果的にはiPhoneの発明者としてスティーブ・ジョブズが指し示されることである。しかし、これはあくまでも追加情報から連想ゲームをして結果的に対象が絞られただけである。初めから対象を削り取っていく「限定」とはその過程が異なる。まとめると、もとの単語の持つイメージを狭めるのが「限定」であり、膨らませるのが「説明を加える」である。

「Tokyo university」か「 The university of Tokyo」か?

 もう一つ例を挙げる。「Tokyo university」と「The university of Tokyo」はどちらも「東京大学」と訳すことができるが、両者の違いはなんだろうか。前者は、「Tokyo」という修飾語句がくっついているので「限定」である。ここでは、すべての大学の中から「東京」という性質を持っている大学に限定しているのである。もっと簡単に言えば、ここでの「東京」とは行政区画でいうところの東京都ではなく、ただの固有名詞である。斎藤さんが作った大学を「斎藤大学」と呼んでいるのと同じである。

 一方、後者の「of Tokyo」にはもう少し深い意味がある。ちなみに、東京大学が公式に使用しているのはこちらである。まず、「of Tokyo」は後ろに並べてあるので「説明を加える」である。そして「of」は所有や所属を表すので、「東京に所属している大学」という意味になる。しかし、東京都に所属している大学は無数にあるし、そもそも東京大学は国立である。この場合においては、「東京にはいくつも大学があるが、東京の大学と言えば“東京大学”に決まっている」という強気な意思表明に聞こえる。とはいえ「東京の大学と言えば」と聞かれたらやはり「東京大学」が真っ先に思い出されるので、間違ってはいないと思う。
 そのほかの例を挙げると、京都大学は「Kyoto university」、日本大学は「Nihon university」、東京都立大学は「Tokyo metropolitan university」である。理由を推測すると面白いと思う。

後置修飾を制すものは文型を制す

 だいぶ細かい話になってしまったので、話を少し戻す。英語では、単語を前から修飾する「前置修飾」と後ろから修飾する「後置修飾」という二つの方法がある。前置修飾の場合には「限定」の作用があり、後置修飾の場合には「説明を加える」作用が働く。しかし、日本語の場合、修飾語はどんなときでも必ず前に置かれる。後置修飾は存在せず、修飾と言えばすべて前置修飾のことである。
 これより、私たち日本人は英語の後置修飾が非常に苦手である。具体的には「関係代名詞」「分詞」「不定詞」などがそれに当たる。この辺りで英語が理解できなくなったという人も多いのではないだろうか。そもそも「後置修飾」というもの自体への意識がない状態では、細かい話が入ってこないのは当然である。

 後置修飾には様々なパターンがあるのでここで説明をすることは避けるが、まずは英語には後ろから前の単語に説明を加える「後置修飾」があるという認識を持つことである。そして、その認識を持って英語の文章を読むことである。そうすると、多くの修飾語句が後ろに置かれていることに気がつくと思う。英語では説明を足す場合には全て後置修飾になるのだから必然的にそうなるのだ。
 後置修飾を見抜けるようになると、これまで単語の羅列に見えていた英語の文が、いくつかの大きなかたまりから成る単純な構造に見えてくる。そして、英語の文を単語レベルではなく、かたまり(主部、述部など)として見ることさえできれば、その組み合わせ方は数パターンしかないのである。ここで話が5文型に戻るのである。次回は、いよいよ5文型の考え方について説明する。